最終クールの治療が終わり、体調も安定した日の夜
家族全員が集められ、CTスキャンの画像を見ながら
眉毛先生による説明が行われた・・・。
【1/2】始まりは高三の春、左顎下部にしこりが出来たこと。母と相談し病院で、先生『悪性腫瘍です。治療は血液内科になります』私「悪性腫瘍何それw血液内科とかかっこいいww」→
<続き>
眉毛「えー、治療が全て終わり、血液検査やマルクの結果もよく
1さんもご家族も良くがんばりました。
とりあえず退院はしておkです。」
1&家族「え?いいんですか?」
眉毛「しかし、ここにやはり小さいしこりが残っていますね」
眉毛「これの正体がわからないと、寛解(血液の病気で言う完治みたいなもの)とはいえないでしょう。
別の日に再度手術をして、調べてみましょう」
というわけで、別の日に手術を行った。
執刀はクールビューティー先生で、再手術にもかかわらずうれしかったのは秘密。
再手術は最初の手術と違い、局所麻酔で行われた。
左顎の下という位置にもかかわらず、なぜか結構喋れたのだが
麻酔がちょいちょい効いていないのか
「すいません、いたいれす」
「あー!むりむり!今きってるでしょ?おえええ」とか言って、
先生も看護師さんも苦笑していたw
うるさい患者である。
クールビューティー先生「1ちゃーん、しこり取れたよー」
1「どんなれすか?あくにんヅラしてる?」
「お母さんには見せておくけど、1ちゃんは安静ねー、
ちなみに最初よりは悪人ヅラしてないよ」
「ありがとうございまふ」
この手術の結果はやはり2週間くらいかかるらしく
電話がかかってくるまで家で待機していた。ちなみに、生きた心地は全くしなかった。
悪人ヅラwwwww
そして数日後、クールビューティ先生から電話がかかってきて
結果をお知らせするので、病院に来てくださいといわれた。
クールビューティー先生「1ちゃん、今回はね」
1「(どきどき)はい」
「悪性じゃなかったよ」
1、J( 'ー`)し「おお!」
「詳しいことはまた眉毛先生から解説があるから、そっちでね(ニコッ」
いそいそと血液内科の病棟へ
眉毛「おめでとうございます、と言ってはなんですが、
この腫瘍は悪性ではなく耳下腺が石灰化したうんぬんかんぬん(以下ry
つまり悪性腫瘍ではありませんでした。本当によかったですね。」
1、J( 'ー`)し「先生ありがとうございます、本当にありがとうございます」
眉毛「というわけで取り急ぎ寛解ということになりました。
こういう病気は、寛解後5年再発しなかったら完治、という目安があります。
次回は1ヵ月後、その後の最初の1年間は3ヶ月ごと、2年目は4ヶ月ごと、3年目からは半年毎にきて下さい。」
こうやって私は病気に勝った。
がん細胞には悪いがボッコボコにさせていただいた。
いやボッコボコにしたのは私じゃなく眉毛先生だけれども。
通院は面倒だが、まだ入院してる江戸前さんやテレビお兄さんの顔も見れるから
まぁいいか、と思っていた。
とにかく私は病気に勝った。それが本当にうれしかった。
もう少し続きます。
眉毛先生の言うとおり、最初は1ヶ月後に病院に行った。
再発なし。無罪放免である。
忙しい先生には悪いが、どうしても聞きたいことがあった。
1「眉毛先生、あの、テレビお兄さんって眉毛先生が担当ですよね?
元気にしてますか?」
眉毛「あー、あの人はね」
眉毛「亡くなったの」
私ポカーン。
嘘だ。
同じ病気で、同じように先生の治療を受けて
同じように過ごしていたのに、同じ食べ物を食べていたのに
嘘だ。絶対に嘘だと思った。
そのまま入院病棟に行った。
顔なじみの看護師さんに挨拶とお礼をしつつ、
さりげなくテレビお兄さんのことを聞いてみる。
小声で、亡くなったの、と言われた。
他の患者さんもおり、小声の会話になったが
「お線香を上げたい」ということを伝え、ご家族の方に連絡してもらえるように頼んだ。
>>1が癌に勝ててよかった。
高校の同級生は勝てずに逝っちまった。
まもなく、実家に、テレビお兄さんのお母様から電話が掛かってきた。
母が出て、取り次いでくれた。
1「あ、あの」
テレビ母「ごめんね、あの子亡くなったの」
1「お辛いときに、申し訳ありません。入院中は大変お世話になりました。
お線香を上げさせていただけないでしょうか」
テレビ母は、ご自分も辛いときだろうに快く応じてくれて、ご住所を教えて頂いた。
その次の土曜日に約束をして、電話を切った。
テレビさん宅には、父が連れて行ってくれることとなった。
テレビ母は、未だに目が真っ赤だが、笑顔で迎えてくれた。
テレビ母「あなたが退院した後、うちの子はちょっと悪くなっちゃってね・・・
眉毛先生に治療してもらったんだけど駄目で。最後に眉毛先生の判断で外泊させてくれたの。
でも、その時にはもう足腰が弱っていて。自分の部屋には行けなかったわ。
それでも好きなテレビを見たり、笑って過ごしていたの」
「外泊が終わって、病院のベッドに戻った後、しばらくは話が出来たんだけど」
「突然"うっ"て言って、気を失っちゃってね、そのまま」
その後、病院でのあの子の様子を教えてと言われ、ぽつぽつと話した。と反省した。
テレビお兄さんにお線香をあげて、その日は帰宅した。
同じ病名がつき、同じ先生に治療を受け、自分だけが助かった。
自分が現れることでテレビ母に辛い想いをさせてしまったのではないか、
もっと考えてから行けばよかった、無神経だったと反省した。
ほんとに突然だな…
>>1はもう5年たっちゃったの?
>>72の一行目おかしいなごめん。
続き書きます
それから自分は、徐々に回復していった。
高校にはいけなかったが、先生たちのお情けで課題だけで卒業させてもらった。
ちなみに、みんなの卒業式は3月1日だったが
自分だけ、3月の半ばに特別に卒業式をやってもらった。
普段は入れない校長室に、クラスのほぼみんなが集まってくれて、
何かスピーチを、と言われた。
「私は病気にかかってしまったけど、クラスのみんなが千羽鶴や手紙をくれた。
無事こうやって卒業できたのはみんなが励ましてくれたおかげもあると思う。
お世話になった人たちに恥の無い人生を生きたい」
みたいなことを言ったと思う。
ちなみに、お父さんからも一言・・・と担任の先生に言われ
普段は絶対に泣かない父が号泣していた。
私の入院中、父は気丈に振舞ってくれていたが、やはり辛かったのだろうか。
母はいうまでも無く、卒業式の最初から号泣していたw
俺も泣いた
それからも定期健診には通った。
夏ぐらいには、普通に動き回れるくらい回復していた。
私は社会復帰の一環として、父が働いている会社での
事務仕事のバイトを紹介してくれた。
外出時にヅラが蒸れて暑かったことをなんとなく覚えているw
そして、蒸れたヅラと共に、江戸前お兄さんのお見舞いに行った。
しかし、看護師さんに退院したといわれた。
テレビお兄さんと違って、江戸前お兄さんとはメールアドレスを交換していたので
「退院したって聞きました!おめでとー!」とメールしたが
なぜかメーラーデーモンさんからお返事がきた。
え、ちょ、と思った。
お互い退院したら、江戸前さんの奥さんやうちの両親も含めてみんなで
旨いと評判のラーメン屋にいくと約束していたはずなのに、
忘れ去られていたのかもしれないと思うと悲しい気持ちになった。
そして、バイト中に実家に掛かってきた一本の電話で、真実を知ることになる。
感動と悲しみでカオス状態
その日もやはり暑い日だった。
バイトから帰ると、母が泣き笑いみたいな顔をしていた。
J( 'ー`)し「1・・・落ち着いて聞いてね」
1「え?どしたの?」
J( 'ー`)し「江戸前さん、亡くなったんだって」
1「まったまたーwwwww」
J( 'ー`)し「いや、ほんとに。」
「1がバイト行った後に、江戸前さんの奥さんから電話をもらってね。
最近亡くなったって。
電話だから、詳しいお話は聞けなかったんだけど
電話の後ろで、お子さん二人の遊んでる声がして
それでお母さん悲しくなっちゃって・・・住所とか聞けなかったの
1「・・・」
J( 'ー`)し「1ちゃん、江戸前さんから漫画借りてたでしょ。」
確かに、江戸前の旬は返したが、そのとき発売されたばっかりだった
「クロス・ゲーム」の一巻を借りていた。
J( 'ー`)し「奥さんね、そのことを知ってて。
それは形見として持っていてください、
そしてそういう人がいたことをたまに思い出してあげてくださいって言われたのよ。」
その後は、父が「江戸前さんの分も生きような」とか言ってた気がするが
あまり覚えていない。
簡単に死ぬとか言ったらダメだよな…
江戸前さんが亡くなってることはどうしても信じられなくて
数回ほど携帯メールをしてみたが、
返事をくれるのはメーラーデーモンさんだけだった。
それから、テレビお兄さんと江戸前さんの死を引きずりながら
私は進学、就職をした。
時折、死への恐怖が襲ってくることはあるけれど
それを乗り越えながら、この前やっと寛解から5年が経ち
幸いにも再発は無く、完治と呼べる状態になった。
実家は東北の山奥だが、今は東京近辺で一人暮らしをしながら、
会社に行っている。
私は病気に勝った。
だけど、逝ってしまった人もいる。
何が運命を分けるのか、あれからずっと考えているけれど
未だにわかっていない。
江戸前さんにはまだ、お線香を上げられていない。
仕事でめちゃくちゃ怒られたときはかなり凹むが
それでも、あのクリーンルームでの経験に比べたら
まだましだよなぁって、また会社に行く気力が沸いてくる。
生きていると色々あるけれど、私はこれからも生きていきていきたいと思う。
私が入院してたころの話は以上です。
何か質問あったら答えます。
今は幸せ?
>>85
今は幸せだよ、自分が普通に働けてることで両親がかなり嬉しそうにしてくれてることもあるかな。
妹も就職が決まったしね。
こんなことあると神様信じる?
>>86
神様はいないと思うなぁ。いたとしたら、私な不道徳なやつよりも
二人のお兄さんを助けてくれたと思う。
もしいたとしたら相当文句言う自信はある。
あ、眉毛先生は神様だと思っているけどww
>>83
マンガを大切にして、江戸前さんを時々
思い出すことでいいんじゃない?
>>87
ありがとう。漫画は今でもちゃんと持っているよ。
無理なのはわかってるけどもう一回会いたいなぁ。
ラーメンとカレーどっちが好き?
あごの傷は気になるの?
>>89
自分は断然ラーメン派、油少な目麺固めメンマトッピングで頼む
あごの傷は今でもうっすら残ってるけど
あごを引いちゃえば見えないからあまり気にならないよ。
>>90
俺は油少なめ麺固めで煮玉子トッピングが好きだw
傷が目立たなくてよかったね。
クールビューティーせんせ腕いいんだな。
普通が幸せって事を実感してるんだ。強い人間って感じ。
乙です。
とりあえず良かったね。
年が近そうなので感情移入してしまいました。
体を大切にね。
それじゃそろそろ、スレを落とさせていただこうかなと思う。
構ってちゃんとかたたかれると思ったが、ヌクモリティを貰えて本当に嬉したったんだぜ。
こんな時間までお付き合いいただき、レスを頂きありがとうございました。
あっ。
しんみりさせちゃったところ悪いけど、どうしてもはっきり言いたかったことがあった。
1は刺身とか生クリームとかすき焼きの生卵とかいわゆる生ものが大好きなんだが
入院中は、感染源になるかもしれないということで
それらを一口たりとも食べられなくて辛かった。
クリスマスケーキや誕生日ケーキは妹に全て奪われたからな。
けど今はwww社会人になったので自分のお給料で生もの食べ放題ですwwww
マイブームはえんがわですwwwwえんがわえんがわwwww
それだけは言わせていただくwww
ではでは!本当にありがとうございましたー!ノシ
今北終わってた
辛い治療に堪えてよく頑張った
感動した!!!!
>>94
良い夢見ろよ(-_-)zz
>>1乙
元気そうで何よりだw
幸多からんことを祈ってるよ。
おじさん、久しぶりに泣いちまった
>>1ちゃんには幸せになって欲しいよ
>>1 乙
頑張ってな
引用元: 私が入院してたころの話
【1/2】始まりは高三の春、左顎下部にしこりが出来たこと。母と相談し病院で、先生『悪性腫瘍です。治療は血液内科になります』私「悪性腫瘍何それw血液内科とかかっこいいww」→
【1/2】始まりは高三の春、左顎下部にしこりが出来たこと。母と相談し病院で、先生『悪性腫瘍です。治療は血液内科になります』私「悪性腫瘍何それw血液内科とかかっこいいww」→