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876: 修羅場家の日常 2005/09/12(月) 13:33:49

家の親父。DQN田舎で、
継母に育てられ、イジワルされてご飯もろくに
食わせてもらえない子供時代をすごした。




どうしても大学に行きたくて、昼間働いて、夜間大学に入学した。
そして、一部に転部し、警察官になった。
浅間山荘事件の時は機動隊として盾をもって浅間山に行った。
ノンキャリアが出世するには機動隊に入るのが近道だったらしい。
そして公安に配属。
親父は公安の仕事に誇りを持っていた。一生続けたいと思っていた。

しかし、DQN腹違いの弟が犯罪を犯し、
そういう身内がいる人間は
もうどんなに頑張っても出世できない。

2人の子供を満足に育てられるように出世したい 
VS 警察を続けたい、
と悩んでノイローゼ気味になりながら、
ヘッドハンティングされていた
民間の会社に転職。


877: 修羅場家の日常 2005/09/12(月) 13:34:49

俺と妹は、海外旅行やブランド物とは無縁だったが、何不自由ない生活を
させてもらった。中学から私立校に入れてもらい、私立大まで出してもらった。

そんな親父が、大学2年の時に、すい臓がんを発病。末期だった。
あっという間に、入院してモルヒネ漬けの毎日になった。

家族は、毎日病室に通った。パワフルな親父が縮んでいく様子を見るのは
悲しくて悲しくて堪らなかった。

すい癌の痛みは壮絶で、親父に投入される鎮痛剤の量はドンドン増していく。
と、比例して親父の意識も混濁していく。幻覚、幻聴が出てくるんだ。

ある日、親父が大きな声で俺を呼び、「犯人が潜伏している場所を
掴んだ!はやく、××(警察時代の元同僚)に電話してくれ。頼む!」
と言い出した。

「親父、それは…」幻覚だよとは言えなかった。

「頼む!頼むから!早く確保しないと。電話してくれ!」
「わかった。じゃ、公衆電話から電話してくるよ」と言うと、
「公衆電話じゃダメだ!ここで掛けろ!他にも有力情報がある。俺の前で
掛けろ!」と譲らない。

しかたなく家に掛けた。電話に出たのは母だった。
俺は母に「××さんですね。俺は父の息子です。どうしても父が××さんに
伝えたい情報があるそうなんです。○○の潜伏場所が分かったそうで」
と言うと、母は、状況を察したようで、「ハイ、ハイ…」と言いながら
電話口で号泣した。

父は後ろから、暗号のような言葉をドンドン言い、俺は
電話口にむかって、わけのわからないままその言葉を繰り返した。
電話が終わると父は安心したように眠った。

幻覚を見るとき、警察の夢を見るのか。そんなに警察が好きだったのか。
なのに、俺たち家族のために、職を変えて頑張ってくれてたんだと思うと
ありがたく、そして、のうのうと暮らしてきた自分を呪った。

そして、最期、父は、
俺と妹と母に「ありがとう…」と言った。
そして 意識不明になり、静かに逝った。

今でも、父のことは自分にとって痛恨だ。
反抗して悲しませてばかりいた。
父のことはずっと身近に思い出したいけど、
思い出すと辛い。

俺は一生、この痛みを背負っていくことになるのだろう。

でも、いい父だった。

自分語り、スマン。長くてスマン。


878: 修羅場家の日常 2005/09/12(月) 16:57:07

>>877
・゜・(ノД`)・゜・
いい話じゃないか
THX


880: 修羅場家の日常 2005/09/13(火) 04:09:23

>>877
・゜・(ノД`)・゜・ 泣いちゃったじゃないか
親父さん、漢だったなあ


881: 修羅場家の日常 2005/09/13(火) 04:49:54

お父さんGJ!
子供に立派な背中を見せることは気団の夢だもんね。




884: 修羅場家の日常 2005/09/13(火) 16:08:29

似たような話になるが
うちのオヤジも末期は幻覚症状が出てた。

久しぶりに、実家に戻った時、
記憶がマダラ状態になり見舞いに行ったとき、
最初は俺が誰だか分からなかったようで、
お袋が○○ちゃんが戻ってきたよ!
と言われて初めて誰だか理解して、
「○○か!立派になったな!」
と褒めてくれた。

大学時代4年間を通し、
実家に帰ったのは多分10日くらい。
社会人になってからは、さらに回数が減っていた。

薬のせいだか病魔のためだか、
俺が高校時代から合気道をやっていた事も忘れ、

父:「東京は危ないとこだから武術やっておかなきゃ駄目だぞ!」
俺:「合気道は続けてる、大学で沖縄空手も始めたよ」
父:「そうか、東京は危ないところだから自分で守らなきゃな」
父:「自分の家族は自分で守るんだからな・・・」

息子が東京に出ていてたのは記憶していても
詳細な情報が欠落していたみたいだった。

一番辛かったのは、親父自身が医者だったために、
マダラ状態から覚めたときに、
自分を自分で診断し余命を割り出し、
しゃべった内容を聞き、自己分析して、
「あれで読んだ本の話に似てるな」
「俺はもうキチガイと一緒だな」とつぶやき
また朦朧としだした時に
「○○か!立派になったな!」と再び褒めてくれた。

俺が意識ある親父と交わした最後の言葉・・・
次に帰郷したときには危篤で昏睡状態に陥り
二度と会話をすることも無かった。

お袋は「立派になった」との言葉が
今でも胸に残るといっているが、言われた本人は
違う言葉に親父の責任を感じていた。

親父が逝った数年後、結婚し子供に恵まれた。
そして、息子を抱き上げる時に思い出すのが、死の意識混濁直前に
親父のいった台詞

「お前の家族はお前が守るんだからな・・・」
そして小学生低学年の頃、最後に抱きしめられた記憶。
「おい、○○、だっこさせろ。」
「(良く分からず)はい・・・」
「この先もうダッコさせてもらえないから、これがダッコの仕納めだ」
なんだかワカンナカッタヨ、あの頃は・・・・

子供を授かって分かった事は、
いくつになっても自分の子供は可愛いのだろう。
そして抱きしめたい。
親父が小学生低学年の頃にやめたダッコにあふれてた愛情は
多分俺に受け継がれてて、息子にも受け継がれていくと思う。


885: 修羅場家の日常 2005/09/13(火) 16:09:37

親になってから、親父を思い出すとき、
風呂場で俺の顔についた水滴を親父の手が
力強くふき取ってくれたこと、肩車して散歩してくれたこと、
他所の家から10円玉を持ち帰り
吹っ飛ばされるほど張り倒されたこと・・・・

家の中で親父に話すときは敬語を使うという教育、
箸の上げ下げや、時間厳守や非常に些細なことまでも
非常に厳しかったが
そんな厳格な姿も子供の教育のためにあえて演じて
いたと母親から聞いた時には本当に愕然とした、

そして
「○○と一緒にお酒が飲めるようになったら話すつもりでいたのよ。」
「あんたハタチ過ぎてから、お父さんの接し方変わってたの分かるでしょ?」

たしかに、帰郷して駅まで迎えに来てくれた親父が冗談を言ってくれた事があった
それまでの親父から想像の付かない事で、心境の変化に驚いていたが、残念なことに俺が
ハタチの頃には病魔のせいでお酒が一滴も飲めない状況になり、一番下の妹が大学を出る
までは生きて稼がなきゃならんと節制した生活を送っていたが、結局妹が大学4年の頃に
鬼籍に移り一緒に酒を飲むことも出来なかった。

それでも妹が大学を出れば、
「親の責任は終わるから息子と酒を飲む。この酒はそれまで取っておく。」
と酒棚には中元お歳暮でもらった酒が箱ごと保管してあった。

「お前の家族はお前が守るんだからな・・・」
この言葉は親になり時々思い出し
深くかみ締めている。
親父はギリギリまで実践した。
俺は自分の家族にどこまでしてやれるだろ、
なんとか頑張ってみるよ。
あんたの息子なんだから・・・・

子を持ってはじめて分かる親の恩

今はこの言葉をかみ締めている。

>>877の親父さんの意識の混濁で思い出しました・・・
長文失礼


896: 修羅場家の日常 2005/09/14(水) 13:06:00

>>876-877
>>884-885
いい話だ
俺はそんな親父になれるのだろうか



引用元: 【コピペでも】夫婦・家族のジーンとする話を集めるスレ【オリでも】