
968: 修羅場家の日常 2017/01/30(月) 13:42:47.96 ID:On7YJGuV
身バレするとマズいので5割は俺の創作、ということにしておく。
創作なので辻褄が合わない所もたくさんあるがスルーして欲しい。
当時俺は幼稚園生ぐらいの年齢で
今で言う所謂ネグレクトというやつだった。
両親共にパチンカスで、
俺と妹(当時まだ乳飲み子)は両親がパチをしている間は
家か車かパチ店かで適当に過ごしていた。
幸い暴力の虐待などはなく、
本当に子どもに興味がない、という感じだったんだと思う。
両親に遊んでもらった記憶はなく、
おもちゃなども家に全くなかったので、
広告の裏に鉛筆でひたすら絵を書いて遊んでいた。
生きていく最低限のことはやってもらっていて、
お風呂も時々だけど入れたし、
食べ物も両親の気が向いた時や、
近所からの頂き物?のお菓子か何かがあるときは
それごとくれることもあった。
パチで勝ったときは両親の機嫌も良くて、
本当に時々だけどファミレスに連れて行ってもらったこともある。
(これが子どもながらに一番嬉しかったw)
妹はまだ産まれたばかりでミルクももらっていたけど、
両親がいない時は俺がミルクをあげたりもしていた。
初めは泣いていてもどうするべきか分からず
そのままにしていたが、
母親と同じようにすれば泣き止むのかなと考えて、
台所にあるミルクの缶で見よう見まねでミルクを作ってあげた。
今思うと量って入れたわけではなかったので
分量とかめちゃくちゃで飲ませて良かったのかわからないけど、
当時は妹もゴクゴク飲んでたので安心した記憶がある。
あとオムツも替えてあげたが
ウ◯◯の時はどうしたらいいか分からず放置していた。
(帰ってきてから母親が替えていた)
そんなある日、
俺と妹は両親に連れられてパチ店に行き、
2人がパチをしている間俺は買ったオニギリを持たされ
入り口のベンチ?みたいなところで食べながら待っていた。
(妹は母親におんぶ紐で背負われていた)
969: 修羅場家の日常 2017/01/30(月) 13:49:10.95 ID:On7YJGuV
すると、よく見るおじさんが声を掛けてきた。
おじさんはパチ店に来ているわけではなく、
その隣にあったスーパーに来ていて
いつもパチ店の前を通っていた。
いつも何か食べたか?とか喉乾いてないか?とか聞いてきて
時々食べ物とか飲み物をくれたりするので
俺はそのおじさんが好きだったw
その日もいつも通り何か飲むか?と聞かれたので
ペットボトルのお茶をもらった。
お茶を飲みながら話をしていると、
おじさんが急に真面目な顔になり、
おじさんの家に来るか?と聞いてきた。
母親に知らない人に着いて行くなと言われていたし、
行っちゃダメだと分かっていたけど、
家に来れば美味しいオムライス作ってやるぞと言われて、
まぁパチが終わるまでにまた戻って来ればいいか、と思い、
ついて行くことにした。
おじさんの家に着くと、
優しそうなおばさんがいてよく来たね、
言って頭を撫でてきた。
おばさんはオムライスを作ってくれて、
そのオムライスがめちゃくちゃ美味くて、
貪るように完食した俺を見て2人は少し泣いていた。
その後色々と質問をされて、
最後にうちの子にならないか?と聞かれた。
裕福な暮らしはできないかもしれないけど、
休みの日にみんなで公園に行ったり、
遊園地や動物園に行ったり、
誕生日には大きなケーキを買おう、みたいなことを言われ、
当時そんなことを経験したこともなく、
家族でそんなことをするのはテレビの世界のことだと思っていた俺は
イマイチ実感は沸かなかったが、
ポロっと「明日もオムライスたべれる?」と聞いてしまった。
今思うと馬鹿だなぁと思うけど
その時は妹とか親のことよりも
何よりもオムライスをまた食べたいという気持ちが勝ってしまい、
明日も明後日も作ってあげると言うおばさんの顔を見ながら
「じゃあなろうかな」と言ってしまった。
その後のことはあまり覚えていないが、
俺は名前を変え、引越しをし、
おじさんとおばさんのことを
お父さんお母さんと呼ぶようになった。
新しい名前には中々馴染めなかったが、
子どもながらに勝手に知らない人について行ってしまったことや
妹を置いてきてしまった罪悪感もあり、
絶対に本当の名前を知られてはいけない、と
必死に紙に書いて覚え、間違えたりしないよう努力した。
970: 修羅場家の日常 2017/01/30(月) 13:54:42.34 ID:On7YJGuV
新しい両親は本当の息子のように育ててくれた。
幼稚園にも学校にも行けたし、
毎日美味しいご飯も食べられたし、
仕事から帰ってきた父は毎日俺をお風呂に入れてくれた。
休みの日にはお弁当を持ってピクニックをしたりもした。
もちろん駄目なことをした時には思い切り叱られたし、
小学生高学年になった頃にはもう前の家族のことなんて
ほとんど思い出さないぐらいだった。
二度目の引っ越しの時(父の転勤)、
押入れの中に母と知らない小さな男の子が
うつっている写真を見つけたことがあった。
誰だろうとは思ったが、
聞いてはいけないことのような気がして
そのままあった場所に戻しておいた。
その後中学、高校を出て大学にも行かせてもらい、
無事就職した。
大学にも行かせてくれた両親には本当に感謝している。
就職先で縁あって今は嫁も娘もいるが、
生い立ちは話していない。
嫁は父と母を本当の両親だと思っている。
両親のしたことが正しいとは少しも思っていないし、
俺のために動いたであろう警察の方や地域の方、
また本当の両親と妹には本当に申し訳ないと思っている。
今幸せだからこそ、あの時ついていかなければ
どうなっていただろうと思うこともあるし、
妹はどんな人生を送っているのだろうと思うこともあるが、
今は大事な嫁と娘、
そして両親との幸せを大事にしたい、と思う。
父と母の犯した罪は許されることではないが、
一生一緒にその罪を背負っていかなければ、と思っているし、
このまま墓場まで持って行こうと思う。
以上です。俺の話を聞いてくれて有難う。
972: 修羅場家の日常 2017/01/30(月) 14:01:55.38 ID:686GU1mA
凄まじいな。
>>970
亡くした息子の代わりとはいえ
きっちり育ててくれたのか
よかったなぁ…
誘拐ではないんだよね?
きちんとした手続きを踏んで今のご両親の息子になったんだと信じたい
八日目の蝉を思い出してしまった
>>979
私はMotherの方を思い浮かべてしまった
パチ屋で浚われた女の子も、こんなふうに生きててくれるといいな、と思った
そうはいかなかったと思うけど…
ちゃんと調査して養子の手続きしたと思う
そんなやましい事をするようなご両親ではなさそう
戸籍みれば分かりそうだけど
もうお互いいい年なんだし何かの折に聞いてみれば?
984: 修羅場家の日常 2017/01/30(月) 17:12:49.49 ID:bc1iMh6n
妹がどうしてるか考えると切ない
養子縁組とか正式な話じゃ無くて...
子供が亡くなる
↓
同じ年頃の男の子発見
↓
誘拐して亡くなった子供の代わりに育てる
ってことでしょ
そう考えないと色々と辻褄が合わない
>>985
それは考えたけどパチ屋の店先で
しょっちゅう接触してたら
事件後防犯カメラ確認で一発アウト
スーパーの常連なら付近の住人だろうからすぐ面が割れるし
>>987
30年ほど前の話だったら
カメラが無い店もあったんじゃないかなぁ
普通に養子として育てられたなら、
「父と母の犯した罪は許されることではない」とか
「一生一緒にその罪を背負っていかなければ」とか書かないでしょ。
>>989
それは>>970がそう思ってるってことじゃん。
養子にしたんだと思うよ。
公的な手段とらなきゃ、
戸籍とか色々とつじつま合わなくなるじゃん。
こどもの行方不明は何年経ってもテレビでも取り上げられるから養子か創作でしょう
990: 修羅場家の日常 2017/01/30(月) 18:31:36.23 ID:/6SNr6jX
>>988
2013年には小学校入学前の乳幼児が
約4000人行方不明になってるらしいけど
個々の行方不明を報道なんてしない
一応なんかしら手続きはしてるだろ
引き取る為に色々と裏で動いてても子供にゃ分からんじゃない?
普通に社会生活してたら、周囲が子供入れ替わってるのに気づくとは思うんだが
背乗りとか、こういう感じなんだろうか
実親が探さなかったんじゃ?、
そんな実親だったら
わずかでも(数万円から数十万円)金をチラつかせたら
快く養子話に応じてくれたと思う
昔は子供駐車場で遊ばせて
パチなんて普通にあった
私も弟とよく遊ばされていた
今だと警察沙汰らしいというのが
俄に信じられない
私もそのおじさんにさらわれたかった気がする
引用元: 今までにあった修羅場を語れ 32話目